獣を飼っているということ

朝、いつもの通りおにぎりとサンドイッチ。
いつから朝食をそれにする習慣がついたのだろう?

去年のマラソンあたりまでは、家で朝ご飯を食べていたような気がする。
その後、トツゲキ倶楽部の稽古に出る頃か、それとも終わってからか、仕事に行く前に炭水化物をとると汗の量が増えるので、それを避けるために家で朝ご飯を食べるのをやめにした。
秋くらいからは、おにぎりとサンドイッチを買う生活がパターン化していたと思う。

昼、『荒海』でつけ麺。

穏やかな気持ちで仕事をしているつもりだったが、夕方、些細なことで頭に血が上った。
昨年の暮れに散々苦しめられた管理表が、復活するかもしれないという話だった。
明日の午前中に話し合いをするので、参加することになったが、自分のしてきたことが元の木阿弥になることへの怒りがこみ上げ、心臓がばくばくした。

言いたいことを言って、急に冷静になった。
ここで俺が怒っても仕方ない。

仕事を上がり、家に帰る道すがら、自分は一体何に対して怒っているのだろうと考える。

そうした心の動きを、最近、つかまえようとしている。
自分の抱えているすべての問題が、そこにある。

家に帰り、キムチ納豆で夕食。

自分の中にある「怒り」について考察する。

信じていた人間に裏切られた時の記憶がある。
長い時間をかけて傷は癒えたが、その長い時間に、自分の中にある種の緊急事態モードが形成された。
それは、怒りをエネルギーにして、目標に向かって邁進する状態だった。
強い強い感情が背後に動いている。

何回も発動された緊急事態モードは、傷の苦しみを忘れさせる代わりに、心の形を変容させた。
心のどこかに、怒りをエサにする獣を飼い、そいつが暴れる時のエネルギーを、ものを作る時に用いるようになった。

その獣は、普段は心の奥深くに眠っている。
だけど、何かの拍子に目を覚まし、怒りをぶつける対象を探して、うなり声を立てる。
うなり声に反応して、脳は妄想に支配され、過去の場面を、まるで録りだめしたDVDのように再生する。
獣は、過去の妄想に飛びかかり、犠牲者ののど笛を噛みちぎる。

獣が暴れ出す時、自分は妄想に頭を支配されている。
あの時のあれはああだったのに、なぜ自分は怒らなかったのか?
態度を保留していた怒りがこみ上げ、抑えがきかなくなる。

気がつくと、怒らなくてもいい怒りによって、精神が疲弊している。
惨めな気持ちになっている。

こうして日記に書くと、新しい発見をしたかのようだが、去年からずっと同じことを考え続けてきた。
その怒りはどこから来るんだ?

答えは見つかっていない。

だが、たぶんそいつは、これからの残りの人生すべてをかけて、向き合って、退治していかねばならない、生涯の「敵」なんだと思う。
『ゲド戦記』の、影との戦いと同じだ。

去年に比べると、怒りを感じる時の心の動きから、獣のサイズがわかるようになってきている。
完全に飼いならしたとき、俺は、怒らない人間になっているんだろうか?

ただ、反省すれば、前に進むというわけでもないだろう。
これからもいっぱい、血を流すに違いない。
それもまた、人生だよな。

アシモフ『象牙の塔の殺人』読了。
研究室における殺人ものだから、もしも『トウガラシライフ』以前に読んでいたら、間違いなく影響を受けていたと思う。
そうしたら、別の話になっていたかもしれないな。

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