底に着いて上を見る

数年前から母との折り合いが悪かった。
その時に自分は、母との交渉を断ち、実家に帰ってもほとんど話をしなかった。
母は自分の言ったことをけろっと忘れるタイプなので、どうして息子が会話をしてくれないのかわからず、初めは怒っていた。
母が怒っているのでますます自分の心もかたくなになった。
そのうち母は不安を感じるようになった。

今は和解している。

でも、それまでの期間、自分は母を遮断していたのだった。

同じように人を遮断したことが何回かある。
裏切られたり、傷つけられたりして、相手を憎いと思って、連絡を絶った。
絶交した人もいる。

時間が経ち、今では交渉のなくなったそれらの人々のことを思うと、昔ほど怒りを感じなくなっている。
されたことはひどいことだったけど、傷は癒えた。

彼らもたぶん、誰かにひどく傷つけられたり、遮断されたりしたことがあるんだろう。
流れを断てば、断たれもする。

去年もそういうことがあった。
心ががんじがらめになり、細胞が死んでいくような気がしていた。
それがずっと続いている。

来年まで持ち越したくないことをまとめ、解決はできないにしても、隠すことをやめた。

隠すことをやめて、わかったこともある。
すっきりしたわけでも、解決したわけでもないけど、ギリギリまで追い詰められた状態からはなんとか脱することができた。

ここ数日みっともない。
こういうことはブログに書くべきじゃないのかもしれないけど、細々とやっているので、読んでくれている人は見逃してください。