走らない時考える走る理由

8時起き。すき焼きの残りを卵とじにして食べる。
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午前中、ダラダラとネットを見たり、部屋の片付けをしなきゃと思いながら何もしなかったり、ぐずぐず過ごす。

昼「丸信」に、行かず。

後頭部がじんわりとしびれていた。
血管に何か詰まっているような間隔だった。
火曜から酒を飲んでいないからか。

走り込みがまったく足りていない。
先月はジムにも行かなかった。
言い訳できないが、そもそも言い訳する必要などない。
誰かに頼まれて走るわけじゃない。
自分が勝手に頼んだわけでもない。
なぜなら俺は、走ることを嫌がっているし、そこに前向きな要素を見いだしていない。

トラブルがなければ完走はできるだろう。
普通に走ることができれば4時間は切れるだろう。
30キロから35キロ地点あたりが苦しいだろう。
40キロを越えれば再びペースが上がり、残り1キロになったらそれなりにスパートはかけられるだろう。
ゴールしてしばらくはきっとヘロヘロで、体は潮まみれだろう。
キツイに違いないが、地獄というほどではないだろう。

走ることが、理由もなく定められた義務になっているみたいだ。
なぜ走るのかという問いを振り払うことができず、疑問は疑惑へと変わりつつある。
過去、レース出場時は、チャレンジもしくはリベンジというテーマが必ずあった。
あえて今回も定めるなら、2月のリベンジだ。
エントリーしながら棄権に終わった御台場マラソン。
だがあの大会め前も、現在と同じ悩みがあった。
テーマがないことへの悩みだ。
走り込みも気が入らず、するべくして棄権した。
今回をそのリベンジにするのは、リベンジという言葉に遠慮がある。
使っていいのか今? という遠慮だ。
そんな大したもんじゃない。
走ること以外の目的がないというレースの方が、マラソンと自分の関係を検証しやすい。
今のままレースを走れば、20キロを過ぎてすぐ地獄を見るだろう。

3時、着替えて日暮里へ。
アメ横のジュエンでシューズを購入。
「えぞ菊」で味噌ラーメンを食べ、秋葉原まで歩き、ヨドバシカメラでイヤフォンを見る。
荻窪に戻り「亀屋」で栗最中を買い、6時半帰宅。

部屋干し用の物干し台を撤去し、チェスト、TV台、パソコンデスクを窓側に移動した。
エアコン下スペースにチェストが移動したことで、部屋が広くなった。
しかしチェストは二つもいらない。
中身を整理して一つは粗大ゴミに出すか。

11時過ぎ、錦織圭とジョコビッチの試合見る。
松岡修造が解説をしていた。
穏やかな調子でプレーの意義と選手心理を語ってくれたので、試合への感情移入がしやすく、大変助かった。
錦織くんは敗れたのは残念だったけど。

2時就寝。