美しさに説明はいらない

昨日の夕飯は夜遅くに高円寺へ行き、「太陽」でラーメンを食べた。
入り口近くの男女四人組がうるさかった。

(その話をオレはすごく面白いと思ってんたみんな思い知れ!)

とでも言いたげな笑い方であり、声の大きさだった。
ありゃ、気になるぜ。

昼、四丁目の「山田屋」へ。
冷やし中華の大盛を食べる。

韓国料理の「ジョッパルゲ」が6月いっぱいで閉店していた。
荻窪の上荻に移転するらしく、地図が張ってあった。
去年まで住んでいた部屋から、駅に向かう通り道だ。

夕方6時帰宅。
着替えて、善福寺川をジョギング。
ついでにポケモンGO。
善福寺川沿いはポケモンの発生率が高い。
特にコイキングが多いので、ひとっ走りするとたちまち飴が100個たまる。

環八に出てから、「ジョッパルゲ」の移転先まで走ってみた。
イオンリカーの裏にあったが、オープンは10日と張り紙がしてあった。

元の道を戻る。
汗の量がものすごかった。

「ツィゴイネルワイゼン」観る。
初めて観たのは21歳くらいの時だったか。
まったくわからなかった。

今もわからないのだが、大変面白い。

わかるとはどういうことなのだろう。
短い言葉で説明できる、ということになっているのではあるまいか?
対象を短い言葉で説明する行為。
何かに似ていないか?

テストだ。
小中高と、我々は、テストでそういうことをしてきた。

大人になってもテストが大好きという奴はそんなにいないが、わかるということに関して、自分がテストする側になっているのに気づかない奴は多い。

でも、「ツィゴイネルワイゼン」を楽しみながら、わからないことの至福に浸っていると、この映画を「分かり易く」説明した評論がなくて良かったなあと思う。

ただ、わからないものがすべていいとも思わない。
「わからないけど」
のあとに、
「笑える」
「怖い」
「悲しい」
「寂しい」
「懐かしい」
「嬉しい」
色んな何かがあって、それが価値のあるものと感じられればいいんだ。

そういう意味で、
「美しい」
が、とても重要な判断基準だ。
美しさに、説明文はいらないし。