5時半に起きた。寝付けないまま朝になったような気がしていたが、眠気はそれほど感じなかったので、一応眠ってはいたのだと思う。
30分ほどしてから起きて、枯れ葉を燃えるゴミにまとめて出し、ブログを更新した。
水耕栽培のトマトは、健気に根を生やしてきたが、大きくなる気配がない。水もほとんど減っていない。今年はこのまま終了かもしれない。
圓楽「厩火事」を聴きながら初台へ。風が涼しかった。
コンビニでサンドイッチを買って食べた。
昼、自転車で「荒海」へ。いい天気だった。ラーメンを食べた。あまり汗をかかなかった。
川上弘美『溺レる』読む。「さやさや」で、おじさんを連想するところや、接吻されてのリアクションなど、男には書けない。生理と連動する心の動き方が、男はそういうふうになっていない。OSが異なる。いや、CPUのアーキテクチャレベルで違う。
と、わしら世代は思うが、10年代の若者男子は、そんな心の動き方を、もっと近しく感じられるかもしれない。90年代、ゼロ年代と、徐々にそうなってきたような気がする。
最近、国土地理院のサイトで、昔の航空写真を眺めるのにはまっている。見るのはもっぱら昔の江戸川区南部で、1936年からおよそ80年の移り変わりは、まるでSIM CITY だ。あるいは「ちいさいおうち」だ。
劇的に変化したのは埋め立てが行われた1970年代から80年代。西葛西駅ができた1979年から1984年までの5年間で、現在の西葛西地区のひながたは出来上がったのだとわかる。
逆に言うと、その5年間で古い街は上書きされ、かつての住宅地は区画整理で高層住宅や幹線道路に変わってしまった。
1960年代の写真を見ると、旧葛西橋から旧江戸川どんづきに伸びたバス通りの脇に、住宅が密集しているのがわかる。人口密度が今とまったく違う。オレが育った団地のあたりは荒れ地と工場しかなく、通った小学校は大きな池だ。養魚場だったのかもしれない。
そろそろ生筋子が出回っている時期ではないかと思い、夕方サミットに寄ってみたが、売っていなかった。そういえばサミットで売られているのを見たことがない。取り扱っていないのかもしれない。
そういえば、荻窪にいた2014年以来、いくらの醤油漬けを仕込んでいない。現在業務スーパーになった中野富士見町の元・TSUKASAは、生筋子を売っていたような気がするが、なぜか買わなかった。
6時半帰宅。納豆キムチと豆腐を食べた。
「石橋貴明のタイムトンネル」の、8月に録画した分を見た。天海祐希と森山直太郎の回。二本分をまとめて見るのが一番楽しいかもしれない。一回につき、缶ビールなりハイボールなりをひと缶というペースで飲むと、実に楽しい。
夜、高円寺へ。「ラーメン大」へ行ったがしまっていたので「タロー軒」でラーメンを食べた。
1時半就寝。