『ヨーロッパ・コーリング』読了

8時25分起き。ギリギリまで寝ていた。疲労感はあったが、その時間まで寝ていられるのは恵まれているんだと思って寝ていた。いや、全然思わなかった。思っていられるほど覚醒してなかった。
歯をみがき、洗濯物を干した。良い天気だったが、変わりやすいと予報が伝えていたので、部屋干しにした。

鞄に、昨日もらったレッドブルが入っていた。そういえば今まで一度も飲んだことがない。モンスターエナジーは長距離を走る前や、走っている途中で飲んだことがある。レッドブルも同じようなものだろう。だったら、長距離を走る時までとっておこうと思った。

写経のようなことをする。満ち潮の渚で砂の城を作るようなこと、と思うと、世界はたちまち灰色になる。写経だと思えば、繰り返しにも何かの効果があると思える。
昔「1:1」という芝居で、パネルに延々と丸を描いていくアルバイトの話を書いた。旧知の宇原君が「丸をずっと書くだけで、時間はつぶせますよ」といっていたのがヒントになった。
しかし、丸を描くのは意味があることらしい。一筆書きで描ける線が長くなるほど、絵を描く基礎能力は上がるそうなのだ。そういえば手塚治虫先生は、コンパスを使わずに綺麗な円が描けた。
「そういえば」は連想のスイッチで、多用すると話はどんどんそれていく。日常的に使うべきではない。年末、大晦日に、その年にあったことを一気に「そういえば」と振り返ればいい。「年越しそういえば」だ。

『ヨーロッパ・コーリング』読了。著者が2015年に書いたブログのうち、政治に関する記事をまとめたもの。あとがきによると、企画を立てた編集者は会議の席で「ロンドン・コーリング」をかけていたらしい。
地べたから政治を観察し、見届けようとする態度のブレなさに強い印象を持った。政治に対して自分の意見を持つ時、トレンドでなくてもいい。観察し、見届け、手段を持っているなら発信していく。その繰り返しの結果が本書だ。
キーパーソンが三人いた。スコットランドSNPのニコラ・スタージョン、労働党のジェレミー・コービン、スペインポデモスのパブロ・イグレシアス。三人の共通項は、反緊縮のレフト。世界の政治的対立は、左右ではなく上下になっている。

夕食に豚もも肉、かつおのタタキ、レタスサラダを食べた。レタスはラーメンの丼に山盛りにしたのを食べた。まるで中西学の朝食だ。

「たまむすび」を聞き、和み、食器をかたづけ、PCをつけ、消し、スマホでネットをうろうろし、そのへんでグダグダになってきた。

浅香からLINEが来た。写真ができたという連絡だった。遅くなったお詫びをすると書いてあったので、サッポロ一番をリクエストした。

寝ようと思い、12時直前に寝て、寝苦しさにいったん起き、また寝た。