沢田研二武道館コンサート

朝の4時半に目が覚めてしまった。外は暗い。早起きしてもすることはなかったが、30分ほど起きてスマホを見ていた。鼻の奥がひりひりしていた。風邪の症状に似ていた。
再び寝て、7時過ぎに起きて朝食を食べた。

実家PCのLinuxを起動し、ソフトウェアの更新をした。あるパッケージの更新が出来なくなっていた。破損フィルタを使って特定し以下略…的なことをしないといけないのだが、どうせオレなんか知識が乏しく頭が悪く性格も悪く人間性に問題があるため、醜くぶざまに手をこまねいているしかなかった。

12時に実家を出る。ローソンで、メルカリで売れた雑誌を発送した。

西葛西に新しくできた巨大パチンコ屋を覗きがてら、お手洗いを借りた。水色のパースケースがあった。忘れ物だった。中を調べるとお札が入っていた。財布らしい。すぐにカウンターに届けた。神さま、見てたかいおいらの善行? 中身を抜き取ることなく届けただろ? おいらが今欲しいものは、レノボのノートパソコンだよ。クリスマスまで待たなくていいよ。なる早でね。

東西線で九段下へ。水道橋方面へ歩き、立ちそば「とんがらし」へ。
店の前に行列が出来ていた。今まで見たことがないくらい並んでいた。

店の中に入ると張り紙がしてあった。

ショックだった。
しかし、年齢のこととあっては仕方ないと思った。行列が出来ていたのはそのせいだったのだ。

うどんとひもかわは売り切れていたので、そばしか頼めなかった。蕎麦アレルギーが治っていて良かったと思った。

盛り合わせそばを頼んだ。

食べ終えたお客さんは、皆、「ごちそうさまでした」と、お母さんに挨拶していた。自分も倣って、同じように挨拶した。

店を出ると2時半になっていた。
早足で内堀通りに出て九段坂を上り、日本武道館へ。

沢田研二のコンサートに参戦した。

昨年のドタキャン騒ぎは、ファン以外の人々が怒るという奇妙な現象だった。「私ならたとえお客さんが一人しかいなくても歌う」的なことを言う人もいた。しかし、ジャイアンがそんなことを言ったら、のび太君、どうする?
ジャイアンのたとえはひどいが、お客さんが一人でも歌うという心の尊さと、ステージの善し悪しは、まったく別のものだ。そこには倫理の入るすき間はなく、良いか悪いかがすべてだったりする。オレはさいたまのチケットを買っていなかったから、ドタキャンの被害者ではないが、ジュリーがそういうことをするにはわけがあるはずと思う程度のファンではある。
で、さいたまの件に関しては、オレレベルの下層ファンが、古希を迎えたジュリーのライブ情報を把握していなかったのがいけなかったのだと判断した。なんという怠惰よとおのれを罵り、すぐさま、このたびの御ツアーのチケット入手を試みた。
しかし、とれなかったのである。昨年の公演はすべて売り切れであった。辛うじてとれたのが、本日の武道館というありさま。

なんでさいたまのいちステージだけ売れなかったんだろう?

しかし正直なところ、今日はジュリーの歌を聞くことが出来れば、チケット売上がどうとか、入りがどうとかは関係ないのだ。どんな曲をやるのかとか、バンドではなくギタリスト一人だけの演奏らしいがエレキなのかアコースティックなのかとか、そういうことばかり気になった。

席は、なんとステージ上手の奥で、歌っているのを後ろから見る位置だった。チケット売れていないなら、こういう席は用意しないはず。見ると、アリーナと、ステージ正面1階席2階席は満席で、上手下手のステージ奥席もどうやら一杯になりそうだった。

3時開演。
ジュリーは、白地に、色とりどりの円い飾りがついたジャンプスーツみたいなのを着ていた。ギターは、Exoticsの柴山和彦さんだった。「カサブランカ・ダンディ」でコンサートは始まった。

最初の数曲は声が出ていないように感じた。ドームコンサートからもう10年経つ。さすがに、高音はキツイのだろうかと思った。
しかし、喉慣らしを終えると、中低音の声がよく響くようになってきた。高音だけは、さすがに昔のようにはいかなかったけど、それでもシャウトはばっちりだった。エレキギター一本とシャウトだけで、武道館をロック感で満たしていた。簡単に「感」と書いてしまったが、武道館規模で、ボーカルとギターだけで、ロックコンサートにしてしまうのって、すごいことだ。え? マジで? と、縦ノリさせられながら、何度も思った。

MCは2回あった。例の騒動に触れて笑いをとってはいたが、ジュリーは拘泥せず恬淡としているように見えた。ファンの多くは、ワイドショーやネットニュースが試みる炎上誘導に対し、おおむね冷静を保っていたと思うが、心穏やかでなくなる瞬間はあったろう。しかし、当のジュリー本人はさらにその上の境地に達しているようだった。残りすくない人生を、歌と共に、あらんとする姿は、光輝いていた。

そして、ジュリーの喋りは、愛らしいというか、かわいいのだ。会場の中にいる人はそのことを知っていて、外にいる人は知らない。なんだか、宗教の信徒と、それを弾圧するひとの対立にそっくりだ。宗教と書くと誤解されそうだ。ベテランのジュリーファンは布教に熱心ではなく、狂信的でもない。美を知り、愛し、慈しむ術を知り、穏やかに年を重ねられた、七十年代激マブおねいさま達だ。わたしの隣のおねいさまも、なんだか、祈るように曲を聞き、おしとやかに控えめに「…キャー…」と、ジュリーに呼びかけておられたよ。

およそ2時間のライブだった。
会場の外にはセットリストを書いた看板がいくつか立てられていて、多くの人が足を止めて写真をとっていた。

人の波に運ばれるように九段下駅まで歩いた。頭の中で、ラストの「ヤマトより愛をこめて」が流れていた。これが、ほんっとに、じーんとするほど良かった。

新宿へ行き、止めてあった自転車に乗り、6時前帰宅
入浴してから、予約していた整体へ。
足がつりそうになった。