「ラブリーボーン」を苦労して見ていく

6時半にいったん起きる。

昨日買った惣菜パンのハンバーガーに、ロメインレタスを挟んで食べた。

昼前、スパゲッティを茹で、あさりとコンソメのスープをかけて食べた。

午後、ウエルシアへ買い物に行く。
米の棚は空だった。サミットに行っても同じだろうと思ったので、そのままウエルシアで買い物を続けた。冷凍餃子など買った。

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スージーを虜にした犯人は、怯える彼女に「帰さない」と言う。スージーは意を決して梯子に飛びかかりよじ登る。すがりつこうとする犯人に肘鉄が決まり、彼女は外に出る。夜になっている。町を走る彼女を、同じ学校に通う不思議ちゃんが見ている。
スージーは家に帰る。しかし、何かがおかしい。家には誰もおらず、家の中にある扉を開くと、そこは別の部屋があり、中央に浴槽が置いてある。タオルを被った男が入浴しており、部屋には、なにかの作業をした後のように工具がちらばり、あちこちが汚れている。スージーは父の名を叫ぶ。
一方、父は、帰宅しないスージーを心配して町に繰り出し、人々に写真を見せ、探し回っている。
やがけ警察の捜査が入り、地下室のあった空き地の部分に、廃棄された木片が埋もれているのと、スージーの帽子が発見される。帽子には多量の血液反応があったと警官はいい、それを、スージーも聞いている。彼女はすでに死に、魂の存在になっている。地下室の場面で、繊細なシーンは省略されたのだ。

そこいらで、辛すぎたため、再生を止めた。
クリント・イーストウッドの「チェンジリング」を思い出した。あれも、すごくいい映画だったが、シリアルキラーが出てくるため、一回しか見ていない。

誰もがそうだと思いたいが、子供が死ぬ系の映画は、まともに見られん。殺される子供と親の両方に対して同時に強く感情移入してしまうため、頭痛がしてくる。
以前、電話ボックスに閉じ込められる夢を見たことがある。あかないなと思っていると、電話ボックスのガラス面360度四方にたくさんのテレビ画面が浮かび上がり、一斉に「フランダースの犬」が再生された。天井から「かかったな塚本、カラカラ干上がってしまえ」と声が聞こえた瞬間、両目から蛇口をひねったみたいに涙が放出され、体がナメクジのように縮んでいった。

「ラブリーボーン」を一時停止している間、気持ちを落ち着けるべく、Youtube映像を見ながらせんべいを食べていると、右上の歯の詰め物が取れた。またー? と思った。その場所は、2015年、2016年、2017年と三年連続で取れている。今回のは2017年に治療したやつだったので、結構もったということになる。
すぐに歯医者に電話をして予約を入れた。

夕食に冷凍餃子、ロメインレタスのツナサラダを食べた。

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スージーは、この世と天国の境目の暫定的な場所で、名も知れぬ少女と一緒に過ごしながら、家族のその後を見つめている。父は犯人捜しに執念を燃やすが、母は忘れたいと思っている。母の助けにと、父は祖母を家に呼ぶが、この人はコントみたいに家事が下手。しかもアル中でヘビースモーカー。やがて母は家を出て行く。
やがて妹が成長して恋人ができ、二人はキスをする。それを見てスージーは涙を流す。好きな人がいて、その人もスージーが好きで、二人はデートをするはずだったのに、スージーは殺されたのだ。
ここで、カラータイマーが鳴り、再生を中断した。辛すぎて息が荒くなっていた。

箸休めに、ハードディスクに保存していた「カメレオンマン」を見た。むかーしむかし、VHSで録画したもの。吹き替え。久しぶりに見た。面白かった。

1時半就寝。