巨人から失われた恩寵

7時過ぎ起き。案の定、腹はまったく空いていなかった。

自販機でジンジャーエールを買ってきて飲んだ。

10時頃、腹が空いてきたので、麻婆豆腐とコンビーフポテトを食べた。

『昨日の世界』1巻読了。
ツヴァイクの自伝で、世紀末ウイーンから第一次大戦勃発までが書かれていた。サラエボで凶弾に倒れたフェルディナンド大公が、国民に人気がなかったというのが面白かった。開戦直前の七月、ツヴァイクはベルギーの海岸にいた。ドイツ人観光客もたくさん来ていた。誰もが戦争が起こるとは思っていない様子だった。フェルディナンド大公狙撃のニュースが伝えられても、人々はすぐにのんびりした気分に戻った。しかし、ベルギー軍が海岸近くを行進するのを見て、それがドイツによる国境侵犯に備えたものであるのを知り、人々も段々、これは容易ならざることになりそうだと思い始め、故郷へ帰り始めた。ツヴァイクもオーストリア行きの汽車に乗った。それが最後の汽車だった。国に帰ると、オーストリアも動員令が出されており、国全体が高揚感に包まれていた。参戦したどの国も同じようなものだった。人は戦争のことを無邪気に考えていた。

戦争が始まったとたん、それまで世界市民の意識を持っていた人々が、あっという間にナショナリズムに染まったという現象は、人ごとではないと思った。日本も、日中戦争における緒戦の大勝で、都市の攻略を左派の政党までも喜んで祝った過去がある。

どんなに平和を願っても戦争は起こりうる。我々に足りないのは、戦争が起こってしまった時に個人の意思がどれだけ無力なのかを、病理的に認識することではないか。悲惨さを訴えるだけでは、悪者探しになってしまう。覚醒剤に喩えると、常に売人だけが悪いとみなすようなものだ。

Oracleの勉強少しする。SQL編。

4時、日没でも眺めようと思い、近所の散歩をした。丘まで行くと、大きなイチョウの木の下に、たくさんの実が落ちていた。

5時前帰宅。

夜、麻婆豆腐とコンビーフポテトを夕食に食べた。

日本シリーズを見た。
初回にソフトバンクが3点入れたところから見て、そのあとちょっとテレビから離れ、少ししてまた見ると6対0になっていた。

5回表にソフトバンクが1点を追加し7対0になったその裏、巨人はウィーラーが2ランを打ち、7対2になった。
6回裏の巨人は満塁にしながらも残塁に終わった。次の7回表、ソフトバンクは満塁にしてからグラシアルがホームランを打った。11対2になった。

『貴ちゃんねるず』の生配信を見ながら観戦していたのだが、点差がこうなってはもはや喋ることがないということで、配信は途中で終了した。

ソフトバンクは9回にも2点を加え、13対2で勝利した。

日本シリーズで、ここまで巨人が圧倒された試合を見たことがない。
実力という意味では、1977年の阪急、1987年の西武、1990年の西武と、明らかに巨人が劣っている時もあったが、存在としては常に巨人が格上だった。
しかし今日の巨人は、王者に挑む挑戦者のようだった。

ふと、長嶋さんのことを思った。昨日今日と巨人はソフトバンクに圧敗したが、長嶋さんが監督だったら、明日から連勝してもおかしくないと思える。実際、1994年の日本シリーズは初戦を大敗したが優勝した。1976年も、3連敗のあと3連勝して7戦までもつれ込んだ。2000年も2連敗のあと4連勝した。
その勝ち方に理論的裏付けがあったとは思えない。1996年のメークドラマにしたって、なぜ優勝できたのかいまだによくわからない。
ただ、長嶋さんがそうやって勝つことで、巨人というチームは特別な存在になり得ていたと思う。巨人に勝っても勝っても勝ち切れていないように思わせるような。

今日の巨人にそういう特別さは感じられなかった。恩寵に見放されたものを見ているような気になった。キーワードが恩寵だとすると、いくら批判しても仕方ない。それは技術の問題ではなく、神に愛されているかどうかの問題だからだ。

じゃあ、ソフトバンクは神に愛されていたかというと、それも感じなかった。どこか無機的に勝っているような気がした。確かに強いが、感情移入がしにくかった。点を入れた時の喜びが伝わってこなかったからだろう。それは、巨人が喜びに値しないからだろうか。

日本シリーズでこれほど無残な試合を見たのは初めてだ。

10時、また何かを食べたくなり、ドラッグストアへ行きピザを買ってきて食べた。

11時過ぎ就寝。