『私をくいとめて』に衝撃受ける

8時起き。
9時45分までまじめに練習し、10時から稽古。
ぐちゃぐちゃだったが、次のステップを示される。

帰宅し、朝飯に鯛飯、味噌汁、鯖塩焼き食べる。

3時半に家を出てテアトル新宿へ。『私をくいとめて』観る。

主演はのん。のん目当てで見に来たわけではないが、彼女が少し前に出ていたマッチングアプリの広告は印象に残っていた。話し方がいい感じだなあと思った。

みつ子は31歳の独身OLで、休みの日は食玩作りの体験コースに参加したり、家の掃除をしたり、温泉に行ったりと気ままに過ごしている。会社の取引先の営業マン多田くんが、時々家にやって来てみつ子の料理をもらって帰る。しかし家にあがったことはない。
多田くんとの関係をみつ子はAに相談する。Aとは彼女の中にいる別人格の男性で、みつ子は一人でいる時にそうやって彼と話す。端から見ると延々独り言をしているようだ。
Aの勧めもあり、多田君を家に招待して手料理を振る舞うことになった。多田君、花なんか持ってきた。絶対脈ありに決まっているだろうこれは。オレの中に住んでいるおばちゃんもこの辺で興奮しだした。
多田君は、みつ子の家の電球交換をやってあげたりした後、礼を言って帰った。このさりげない場面が良かった。
みつ子は、友人が住むイタリアに一人旅をする計画を立てる。その予行練習で温泉一人旅をする。
温泉は大広間で芸人達のイベントをやっている。みつ子はそれを観る。女のピン芸人が出ており、段ボールを男性に見立てたシュールなネタを演じている。これがネタとしてまあまあ面白かった。
イベントのフィナーレで出演芸人達が舞台に並ぶ。その時、調子にのった温泉客の男どもが舞台に駆け上がり、女のピン芸人と一緒に写真を撮り始める。男どもは彼女を褒め称えているのだが、抱きついたりしているので、不快に映る。
みつ子はそれを見て表情を硬くし、舞台に近づくと大声で男たちを制止する。
その後、旅から戻ったみつ子がAにその時のことを話す場面になる。みつ子は、会社でお茶くみをした時に手首をいきなり握られたことや、その時に平気なふりをしたこと、それをイヤな先輩に見透かされたこと、無能な男上司と今いる有能な女上司のこと、でもその女上司を受け入れていないことなどを話し、最後に、なぜあの女芸人を助けられなかったのだろうと言い、涙する。
このシーンに鳥肌が立った。
続くイタリア旅行の場面、飛行機が怖いみつ子は音楽で恐怖を紛らわせようとする。Aが「早く!」とせかし、ヘッドフォンをつけると『君は天然色』が大音量でかかった。重くなっていた空気がここですーっと晴れた。良い演出だった。
イタリアでは友人さつきの家に泊まる。さつきの夫はイタリア人で、彼女は妊娠している。みつ子は片言のイタリア語と日本語で自然にコミュニケーションをとり、そこで年を越す。
そして、多田君にLINEをする。やり取りをして、最後に返事をしようとするとき、なぜか指が止まる。自分の中に、関係を進められないつっかい棒みたいなものがある。彼が炊飯器を買ったことを書いてきたため、手料理振る舞いはもう終わりかと思ったからだ。
日本に帰り、多田君に帰国を知らせる。その頃、先輩のノゾミさんは、会社の嫌われイケメンとデートの約束にこぎ着ける。彼のあだ名はカーター。東京タワーを足で登るというイベント。カーターは、みつ子と多田も参加するならいいと言ったらしい。で、ダブルデートみたいになる。
カーターは上ってすぐ疲れる。ノゾミさんたちを二人きりにして、みつ子は多田君と二人で階段を上る。当然、ここいらで告白くるわよ、と予想していたら、案の定きた。きたきたきたきたー、と思った。
二人はつき合うことになり、デートや旅行をしたりする。しかし、みつ子はやはり二人で過ごすことに息苦しさを感じている。多田君は好きだし、いい人なのに、おひとりさまの方が楽だと思ってしまう。車のシーンでタイヤにチェーンをつけていないことをぼやく多田君。ごめんと謝るみつ子に、なんで謝るのと聞き返す多田君。この場面の空気感が、みつ子の感じているもやっとしたものを表すすべてだった。この演出こそ、女性ならではだと思う。
ホテルに泊まり、多田君にやさしく抱擁されたとき、そんなんじゃないと拒否するみつ子は、氷を取りに行き一人になった時、久々に出てきたAに感情をぶちまける。
そしてAはみつ子脳内において、ある場所をロケーションして自分の姿を見せる。ここはネタバレゾーン。
みつ子は部屋に戻り、前よりも少し楽になった気持ちで多田君と向き合う。この場面、のんがキレイだった。うっわー、美人だなあと思った。美人は、自分の中からやってくるのよね。
そうやって少しずつ二人の距離感を作っていくのかなと、観ている者に思わせながら映画はラストへ。

のんの芝居がとんでもなく良かった。最高だった。大九明子監督の演出も良かった。
以前観た『82年生まれ、キム・ジヨン』との類似性も感じた。しかし、こちらの方がより、言葉にできないもどかしさを正確に捉えていると思った。温泉シーンののんの独白を観るだけでも行く価値があると思った。映画館を出ると、前を歩いていた一般ギャル二人組の片方が探るように「いい映画だったね」と言っていた。
だろうよ、そうだろうぜ、見てこいや! と、PRIDEの高田延彦ふうの声で思った。

呆然として降りる駅を間違え、南阿佐ヶ谷から走って7時帰宅。Amazonの配達に間に合う。

映画の記憶を反芻するだけの夜だった。

偶然の一致が二つあった。以前マグで、独り言をする独身女の芝居をやり、独り言の相手は男だったのがひとつ。そして、俺も自分の中にもう一人の自分がいるように思っていて、それは女性であり、なおかつ、なんと、名前がみつ子であること。