やる気なし

5時過ぎ起き。しかし二度寝。実家だと早起きして書き作業をすることがひどく億劫に感じる。部屋が狭いせいか。

朝飯に炊き込みご飯と、昨夜作った鶏肉と山芋の煮物を食べる。父、体重が減ったとこぼすので、すでに買ってある経腸栄養剤を奨める。食欲がないならそっちを優先して摂取した方がよい。飽きて他のものが食べたくなったら、その気持ちがすなわち食欲なのだから、そうしたら好きなものを食べればいい。

現場に向かう地下鉄内にて『富士日記』下巻読み進む。泰淳が脳血栓で入院し、その後も山荘通いは続いた。しかし日記は間遠になる。二年ほどあき、昭和51年から再び書かれる。

午前中、既存ツールの改修をしようとしたが、やる気がまったく起きず困った。新規ツール関連の差し迫った作業もなかったので、時間を持てあますような気持ちで午前中を過ごした。

昼、ツナサラダ、ハムカツ、それに休憩室の自販機に売られているカップ麺を食べた。カップ麺は190円もした。観光地価格だ。働いてる人間から市場価格より高い値段でものを売るなんて。葡萄が怒るぞ。

午後、やる気なし。だが、3時くらいから既存ツールの懸案だった改修をする。ファイルパスを得るために何度も何度も関数を呼び出していたので、フォームを開く時にグローバル変数へ入れておき、以降その変数を使うようにした。

午後の小休憩中、『富士日記』下巻読了。
昭和51年夏、泰淳の具合が段々悪くなっていき入院するまで日記はマメに書かれ、泰淳の死の前に突然終わる。そのあと、百合子によるあとがきが続く。泰淳が死んだ後、『海』編集長の塙嘉彦氏から日記を掲載するように奨められたことや、泰淳が死んでからの日々は日記を書き写すことによってなんとか営むことができたこと、などなど。そのあと、泰淳による山荘がらみの随筆が一本あり、最後に武田花による山荘の後日談のような文章で終わる。
花さんによると、泰淳が死んでから百合子は車の運転をやめたが、山荘には時々通い、運転は他の人にしてもらったとのこと。自分が死んだら、書き残したものはすべて焼き捨てるように言ったそうだ。
花さんは長く山荘を訪れることがなかったが、十年ぶりに猫と一緒に訪れると猫が喜んだという。部屋にはコウモリが住んでいたらしい。それからさらに年月が経ち、ついに老朽化のため解体することにしたと書かれ、それが本の結びとなっていた。
買ったものの値段、どこに行った、何を喋り何を聞いた、ご飯は何を食べた、そういうことを淡々と書き連ねていくうちに、行間にはさまれる文章が増えていき、読んでいると百合子と一緒に生きているような気持ちになった。
泰淳のことを『とうちゃん』と呼ぶのがよかった。山荘と東京を車で往復し、原稿を郵送し、ご飯を作り、口述筆記をし、そのうち、泰淳と百合子ふたりでひとりになったように、読んでいて思った。

帰りにオーケーに寄り、ポテトフライ、生牡蠣、白ワイン、丸ごとチョコバナナ買う。

7時前帰宅。冷凍してあった小間切れ豚肉と、人参、ゴボウ、大根、厚揚げで、簡易豚汁を作って食べた。生牡蠣をポン酢やタバスコに漬けて食べ、白ワインを飲んだ。

12時過ぎ就寝。