日本シリーズとビートルズ

6時50分起き。少しだけ「ロンド」練習してから入浴。

自転車で現場へ。
石橋貴明『GATE 7』聞く。日本シリーズ開幕直前の録音で、第1戦がどうなるかを予想していた。結果を知って聞くと面白い。
ミスチルの「シーソーゲーム」が流れた。メロディ、アレンジ、歌い方がコステロまる出しで、ちょっと共感性羞恥を感じたが、PVもそういえば初期コステロ風だった。意図して似せていたのだろう。

午前中、ゴッド氏ツールの関数作り。旧システムにあるクエリに入っているのは、『犬神家の一族』の人間関係みたいにぐっちゃぐちゃの式だ。それを解きほぐして、VBAでひとつずつSQLを実行していくようにしてみたら、法則が段々見えてきた。

昼、『TOKYO RUDUX』読む。第一章を終え、第二章。
第一章はハリー・スウィーニーという捜査官が主役で、下山事件発生前後の出来事を異邦人の立場で眺めている。地理の描写が精密で、昭和24年の日本にタイムスリップした感覚が味わえる。千住晃が出てきた。彼は、ゲーム『真女神転生』のカオスヒーローを思わせる。

夕方、中野第一ライブラリーへ。本を返却する。

サミットで買い物。生牡蠣、生姜焼き用豚肉、サラダ、ビール、ジョニ黒のポケット瓶購入。

7時帰宅。テレビをつけて日本シリーズを見る。2回裏の攻撃をやっており、ヤクルトが1対0でリードしていた。
着替えながら見ていると、オリックスが同点に追いついた。よっしゃ、と拳を握ってから、食べ物飲み物の支度をしにキッチンへ。

豚肉を焼き、生牡蠣を大根おろしで洗った。それらの食べ物とビールを持ってテレビのところへ戻ると、ヤクルトが再び2対1とリードしていた。

日本シリーズを見ながら、食べ、飲んだ。

オリックスが同点に追いつき、その後点を重ね、5対2と勝ち越して8回裏まできて、今日はさすがにオリックスがこのまま勝つかと思っていたら、8回裏に山田哲人が同点スリーランホームランを打ったのに絶句した。
すると9回表にオリックスは、代打のジョーンズが勝ち越しのホームランを打った。また絶句した。
シーソーゲームの末に、オリックスが勝利した。面白すぎて疲れた。

一日休みをおき、土曜日に第6戦が行われるが、今日勝ったためにオリックスは満を持して山本を先発に使えることになった。しかも第7戦には宮城もいる。
つまり、ヤクルトにとって今日の試合は、実は絶対に落としたくない試合だったのだ。勝てば4勝1敗なので、圧勝っぽく感じられたけど、実はギリギリいっぱいだったのだ。

9時半過ぎから、Disney + にて、ビートルズ『ゲット・バック』を見た。
本日は第一話。ゲットバックセッションの最初の一週間分。

出来事を日にちごとにきっちり分けて流すという構成だった。それによってわかったのは、このセッションがかなり無茶なスケジュールで行われたということだった。新年早々スタジオに集まり、およそ二週間でライブ用に14曲を仕上げなくてはならない。そのライブはテレビで放映される。目的はレコーディングではなくライブであるため、メンバーは「ならできるっしょ」と思ったのかもしれない。

撮影に使われたトゥイッケナムスタジオは音が良くなかった。だがそれは想定内。
ピーター・ブラウン著『ビートルズ・ラブ・ユー・メイク』によると、この頃ビートルズ周りをうろちょろしていた連中の一人であるマジック・アレックスは、メンバーが撮影している間、78トラックの録音装置つきのアップルスタジオを建造していた。ところが、ビートルズがトゥイッケナムからアップルスタジオに移動してくると、ぜんぜんそんなのはできてなくて、防音さえされてないのでエアコンの音がガンガン鳴っており、スタジオとコントロールをインカムでつなげることもしてなかったそうだ。
そんなやつを信じるレノン氏がいけないのだが、1968年にビートルズはアップルコーポレーションを設立し、若くて才能のあるやつをとにかく集めようとしていた。アレックスはエレクトロニクスの天才という触れ込みで、才能のあるやつとして取り巻きの一人に加わっていたのだ。
才能のある若者を集めようとする意図はまったく正しい。しかし、魚釣りに例えると、青物やヒラメなどの高級魚を釣ろうと思って強力な集魚装置を使ったら、数十万匹のボラが集まってしまったのだ。マジック・アレックスはいわば、でかいボラだ。

ゲットバックセッション前後のビートルズ史について、本で読んで得ていた知識は、今日の視聴体験において、まったく変態的に快楽をかき立てる効果があった。ロードマネージャーのマル・エヴァンズや、楽譜販売者のディック・ジェイムズが、実際に動いて喋っているのを見るのは、驚きの体験で、変態的にぞくぞくした。

しかし、それが今日の主たる楽しみ方ではなかった。

創造の苦しみに直面するビートルズを目の当たりにすること。それが、映画の最大の魅力であった。

ライブ用の曲を練習するという目的なのに、いつの間にかアルバムレコーディングと同じレベルの創作的苦労を味わうようになり、使える曲はないかメンバーそれぞれが持ちネタを引っ張り出し、聞かせ、おのおのの楽器で音を重ねていく。誰かが何かをやれば、すぐに皆が音で続く。しかし、なかなかものにならない。イライラがたまっていく。

こういうのって、メンバー不仲とか関係なく、ありとあらゆる創作活動において、必ずあることだろう。

しかし、創作のために集まったわけではないゆえに定められた、2週間という期間の短さは、メンバーへのプレッシャーになっていく。その様子が、実によくわかるようになっていた。

2時間30分以上の映像を、瞳孔開きっぱなしで見た。

日本シリーズの熱戦後、感受性を司る神経はくたびれていたのに、ビートルズはオレを寝かせてくれなかった。

0時過ぎ、第1話見終える。心臓がドキドキしていた。やばいものを見た、という気分だった。

ファミマへ行き、カップヌードルカレーを買ってきて食べた。

1時過ぎ就寝。