忘却力の障害

8時起き。

ラメールへ行きレッスンを受ける。土曜日は何かと予定が重なることが多くなったので、平日の朝という隙間時間を使うことにした。『笛吹き奴』はだいぶできるようになってきたので、来週までに仕上げ。『東風』は、ラスト近くにまだ手こずっている。

午前中、同僚が手をつけていたツールを見る。Accessなのだが、ファイルとフォルダの構造が独特だった。ODBC接続をしているのだが、オフィスの端末にコピーして直接実行しないと確認できなさそうだった。

昼、昨日行けなかった『大勝軒』へ。中華麺と生卵食べる。

食べ終わってから、神田川沿いを走る。川の中に生えた草を刈り、ゴミを拾う作業をしている人達がいた。

高井戸まで走り、環八を北上し、走行距離が6キロを超えたところで走るのを終え、近くにあったLUUPのポートからキックボードで帰宅。

午後、ツール調査を続ける。今年度になってから、前年度の集計結果が出なくなったエリアがあるらしい。エリアのとりまとめ方が今年度から変わったかららしい。となると、データの中身がないと何とも言えん。

夕方、新中野の内科へ自転車で定期診察に行こうとしたら、雨が降ってきたので、地下鉄を使った。

6時半、いつものように「どうですか?」「変わりないっす」「走ってる?」「っす」の診察を終え、医院を出ると雨はやんでいたので、鍋横商店街のLUUPポートからキックボードで帰宅。そのあたりは無料エリアではなかったので、240円以上かかったが、バスや地下鉄とは違い、家の近くまで移動できたので、高くはないと思った。

夜、ここ数年のことを思い返し、友人知人のことなどを深く考えた。思い出したくないことをあえて思い出し、心のざわつき方が昔と比べてどうなっているかを確認する。こういう時、出来事に対する記憶力の良さは、厄介な性質になる。10年前のことでも、今起きたかのように感情が揺れ動いたりするからだ。

しかし、最近思ったのだが、これは記憶力が良いのではなく、忘却力に障害があるというとことではないか? 忘れるという機能に不具合が生じているのではないか?

だとすると、覚えていることに対する処し方も変えなくてはいけない。それは過去なのだと自分に言い聞かせないといけない。そうしないと、自分の中にある時計は動かない。

なかなか寝つけず、夜中の2時過ぎに起き、4時過ぎまで Evernote の中身を整理した。書きためたテキストがあり、中には面白いのもあった。

4時半就寝。