前の現場がなくなっていた

7時起き。

7時半、『タロー軒』まで走って行き、カレーライスと半ラーメン食べる。

住宅地を北に走り、馬橋公園のあたりで南に戻り、帰宅。6キロちょっと。

9時半から作業。どさん子ツールの改修。

昼、耳鼻科受診のため、自転車で新宿へ。先日のファンダイブのあと、耳が詰まった感じが続いていたので、一昨日予約したのだが、昨日から詰まった感じはしなくなっていた。しかし、健康診断のものだと思い、行ってみることにした。

スペースゼロの近くにある医院だった。予約時間より早く着いた。10分ほどスマホを見て時間をつぶし、医院に入ろうと思い、リュックから財布を出そうとすると、財布がなかった。落としたのではない。持ってくるのを忘れたのだ。

家を出る時、財布をリュックに入れようとする前に、そういえばマスク着用しなきゃいけないんだったなと思い出し、マスクを探し、リュックに入れた。その動作をした時に、財布もすでに入れたもんだと思いこんでしまっていた。

家まで戻って財布を取ってくるのは時間的に無理だったので、キャンセルした。駐輪場のお金も払えない状態だったが、無料時間中だったので、自転車は無事に出すことができた。

帰り道、以前働いていた現場の前を通ると、テナントが空になっていた。移転したのか?

午後、どさん子ツールの作業。GROUP BY の入れ子SQLだったので、メモ帳にSQLを書く。SQLビューで編集するより、純テキストの方が見た目をわかりやすく成形でいるので作業がしやすい。

夕方、改修したどさん子をアップロードして、本日の作業は終了。

夜、以前働いていた現場のことを調べる。会社のHPはなくなっていた。別会社の業務を始めたのは知っていたので、そのサイトを見ると、存続はしていた。しかし、以前の現場でやっていた業務はもうしていないようだった。

ED氏のせいじゃねえか? と、RPM教信者のリーダーを思い出す。彼があのまま指揮していたら、クライアントは怒るだろうぜ。「折り返し連絡いたします」って言い過ぎだった。

ED氏に根拠不明の信頼を寄せるオエラーさん達にも問題があった。オレが仕事を始めた頃にいた似非コンサルタントのガッキー氏とか、何のためにいたのかわからない。

今は在宅になったので、そうした不満を抱えることはほとんどない。オレにとってもオエラーさんたちにとってもいい事だ。しかし、先日やめた同僚のように、在宅ゆえに問題がドツボにハマった時に孤立するケースもある。

結局、生きなきゃ、ということだ。というより、生きていること、生かされていることが当たり前と思ってはいけないんだ。本来オレ達は、常日頃死にうるのに、上手く立ち回ったり運が良かったりすることで辛うじて生きているだけなんだろう。

朝起きて生きていたら、生きなきゃいけないというのがルールだ。そうしよう。

一眼レフで撮影したフィルムをスキャナーにかけて取り込んだ。今までの設定だと、画素数が少ないということに気づいた。現像業者がもれなくつけてくれるCDに入っているjpegと、解像度がほとんど同じだった。これではスキャナーを買った意味がない。

昨年、一眼レフを修理して以来、旅行のたびに撮影してきた。この一年で使ったフィルムの本数は、そのカメラを買ってもらってから十年で使った本数より多いかもしれない。きっとそうだ。昔はフィルム代や現像代がもったいなくて、遠慮なくシャッターを押すことができなかった。

撮った写真は、スマホで撮ったものよりも画質は荒いが、色合いに味がある。