『首』見る

朝4時、スマホアラームで起きた。意外なことに、釣りに行く以外の選択肢が頭になかった。

着替えて、自転車で中川へ。5年前の11月にシーバスを釣ったポイントに向かった。行くのは2年ぶり。滅多に行かない。

流れは下げていた。下げ始めのはずだったが、生き物みたいなうねりが海に向かっていた。先行アングラーは数名いたが、間に入れないほど密集はしていなかったので、アップに投げてドリフトできる範囲に陣取った。

スリムアサシン、トライデント、スイッチヒッター、エリア10などを投げた。時々ボイル音が聞こえたが、ボラっぽかった。それでも、魚がいる音が聞こえるだけマシだ。

しばらく投げて、反応がなかったので、やや上流に移動し、スイッチヒッターを投げた。

ところが、自分のバカさに呆れるのだが、リールのベイルを起こさないで投げてしまったため、当然のようにルアーだけが飛んで行ってしまった。切れたのはスナップの結び目だった。

トライデントを中心に投げてドリフトするも反応なし。5時半を過ぎたあたりでルアーをバイブ系に切り替え、リフトアンドフォールや水面高速引きを中心に引いたが、反応なし。

6時前に納竿した。

6時15分帰宅。二度寝した。

7時過ぎ頃、母に起こされ、朝飯を食べ、再び寝る。

12時近くまで寝ていた。起きると、母は出かけていた。

1時過ぎに実家を出る。

2時過ぎ、新宿へ。『ステーキマックス』で、ガッツリステーキ300グラムを食べる。

『上州屋』へ行き、ルアーを眺める。シーバスを半年以上釣れていないため、ルアーで何とかなるという気持ちはすっかり失せている。

4時前、TOHOシネマズ新宿へ。

4時10分、北野武監督『首』見る。

事務所分裂やコロナ禍などで、公開までえらく間があいたが、お蔵入りにならなくて本当に良かったという気持ちと同時に、なぜか、期待外れだったらどうしようという恐れがあった。これは、フェアな言い分ではない。期待の内容が具体的でないのに、恐れの理由をそのように定義している。

だが、それでも、期待外れを恐れる感覚というのがあった。そうとしか説明できない気持ちだった。

しかし、映画が始まって数分で、その恐れは杞憂であると分かった。画面に色と影があり、動きがあり、見ている者の虚をつくタイミングで殺戮がある。自分のなかにある『恐れ』は、殺戮場面と共に、たちまち雲散霧消した。あとはただ、三十年以上コンスタントに映画を撮り続けているベテラン監督を信じて、物語についけいけば良かった。

前半と後半で、映画の印象が大分違った。

映像としては前半が良かった。死屍累々の戦場を真上から撮った映像は、悲惨なのに美しかったし、白塗りのジャバ・ザ・ハットみたいな光源坊とキツネのお面をかぶった巫女の場面は、セリフの演出も含めて見事な造形だと思った。

後半は、たけし演じる秀吉と、官兵衛、秀長の三人が、珍道中みたいなコンビネーションで笑わせる。後半の秀吉は、まさに『殿』だった。

抜け忍を演じるキム兄が大変よかった。忍者をやめてお笑い芸人をやっている設定が無理なく生かされていたし、秀吉と毛利の戦は五分五分とみるや、さっと姿を消すしたたかさがかっこよかった。

タイトル通り、首がふんだんに出てくる作品だったが、感覚のインフレが起こり、途中からあまり残酷さを感じなくなった。戦国時代は社会全体がサバイバルゲームのようなもので、首とはゲームオーバーの暗喩に過ぎない、みたいな見え方になった。

秀吉の中国大返しが、フルマラソンみたいに撮られていた。

ラスト、秀吉の台詞は、本質を言い当てているなあと思った。だから天下人になれた、ともとれる。

ほぼほぼ満席だった。

西口に出て、Luupで帰宅。初乗り30分が200円になったので、新宿からだと案外ちょうどいい。家の近くまで乗れるし。

ドラッグストアでレモンサワーを買って帰宅。

夜、ワームのシーバス釣り動画をYoutube で見る。

11時過ぎ就寝。