クロさんの師弟観

8時起き。起きた時、ぐったりしていた。

ウエルシアへ買い物に行き、食パン、うどん、生ラーメンの味噌、シャウエッセン買う。

朝飯にトースト。

専用庭から部屋への上がり框にペンキを塗った。6年前にも一度、白ペンキを塗ったが、一昨年くらいから剥離が目立ってきた。今回は、色をフローリングと同じ系統にし、少し濃いめのブラウンにした。

11時前、走りに行く。荒玉水道を往復10キロ。体がすごく重く、途中なんどか止まって心拍数を下げなくてはならなかった。帰宅し、風呂に入ってから体重を量ると、2キロも増えていた。昨日の飲み会などで増えていたのだろう。

風呂から上がると1時近くになっていた。急いで着替え外に出て、LUUPで中野へ。JRで神田へ。2時ちょっと過ぎに歯医者へ。3ヶ月検診を受ける。

2年ぶりにレントゲン撮影をしてもらい、前回の撮影と比較してもらった。2年前の時点で右下の歯と歯の間に溶解部分が見られたのだが、その時点では治療には及ばないとのことだった。しかし、2年が経ち、徐々に内部へ侵食しそうな気配となっていたので、再来週から治療することになった。

マルエイで買い物をして実家帰宅。夕食に冷やし中華を作って食べ、黒澤映画に出てくる喜劇人について、雑談混じりに母と会話する。

部屋で、堀川弘通『評伝 黒澤明』読了。20年以上に読んだことがあるが、その時よりも知識が増えているので、より面白く読めた。堀川監督と黒澤明は、山本嘉次郎の助監督時代からのつき合いで、師弟というより先輩後輩関係であるところが面白い。『クロさん』は木下惠介と助監督達のような師弟関係を羨ましがっていたと書かれていたが、そんなことが書けるのも、先輩後輩の距離感だからだ。

ただ、四十代くらいまでの黒澤明は、師弟関係にそれほどこだわってはいなかったのではないか。処女作『姿三四郎』は、作品がそういうものだから結果的に師弟関係が描かれただけのように思える。そこから、四十代最後の作品である『隠し砦の三悪人』まで、師弟関係を描いた作品はそれほど多くない。『野良犬』の三船敏郎と志村喬は、師弟関係を描くこと自体が目的にはなっているわけではないし、『七人の侍』における勘兵衛と勝四郎も、モロに師弟関係ではあるけれど、作品の主題ではない。

師弟関係が主題に近い形で描かれた最初の作品は、『椿三十郎』ではないか。しかし、その後の作品でも、師弟関係が描かれたものは、『赤ひげ』『まあだだよ』くらいだ。ただ、その二つの作品に現れる『師弟観』の印象が大変強いため、逆算して、黒澤明といえば師弟関係の人だと思われてしまいがちな面があるかもしれない。しかし、若い頃からそうだったわけではないと思う。

晩年の自伝『蝦蟇の油』では、師匠である山本嘉次郎のことを、いかに慕い、尊敬してきたか、筆を尽くしているけれど、それは、還暦を過ぎた時点での甘い感傷が入っているためだろう。実際に助監督の仕事をしていた三十代の頃は、兄貴分のような感じに思っていたのではないか。いくら当時のP.C.Lの気風が自由だったからといっても、師匠筋の人に対して『ヤマさん』と呼んでいたのだから、そう考えた方が自然だ。

となると、堀川さんが黒澤さんのことを、終始『クロさん』と呼び続けたのは、なんのことはない。クロさんが山本嘉次郎監督のことを『ヤマさん』と呼び続けたのと何も変わらない。

まあ、木下惠介のことを羨ましがっていたというエピソードも、堀川さんが書いていることなのだから、もしかするとクロさんが逆の意味で言っていたのかもしれないが。