たわ言が出てくる程度にはヒマになった

色々な夢を見た。

引っ越しをする夢。手伝いに演劇関係の友人たちが来ている。
ハンガーにかかった服を後輩のKくんが運んでいる。ぞんざいにしまっていた意識があったので、Kくんに「雑でしょ」と、阿るような気持ちで声をかけると、彼は「話になんないです」と答えた。

整理整頓をきちんとしている彼のことだ。そう思うのも無理はないと思いつつ、もしかすると彼は、オレのことでなにか腹を立てているのだろうか、とも思った。

次に、なぜか引っ越しの後、打ち上げ会場に行くことになり、旧知の女の子が「誰それは劇団を辞めたのに、その劇団名義できましたよ」と言ってきた。その誰それ氏は現実でも、やめると言ったり、でも復活したりした人物だ。

とりとめもない夢だったが、延々と見ていたため、妙に充実感があった。4時に目が覚めたが、もう一度夢の続きが見たくて、すぐ寝直し、続きの、まったく違う内容の夢を見た。今度の夢は内容を覚えていないが、かなり長い時間をかけて夢を見たような感覚があったのに、次に起きたのはわずか3時間後だった。

7時15分に起きる。

朝飯に、ソーセージとチーズのトーストを食べた。

自転車で現場へ。

ヘミングウェイ『移動祝祭日』読む。持っているものではなく、岩波の同時代ライブラリーを借りた。旧訳版。会話部分の言い回しがちょっと古めかしい。

昼、『てけてけ』で、ハンバーグと唐揚げのランチ。

午後、バラモンさんに依頼されていた便利機能の実装に取りかかる。自分で作ったモテモテ機能なのに、期待したほどモテていない。オレじゃなく、作った入力フォームがモテている。フォームもオレも、お互いオブジェクトであるという意味ではライバルだ。しかしオレは人類。向こうは無生物。しかも便宜上目に見える形になった、概念としてのオブジェクトだ。物質的実感に満ちたヒューマノイドたるオレが、たかが概念相手にモテにおいて敗北を喫しているこの現実は、我々がすでに『ブレードランナー』的未来に到達してしまったことを示しているのだろうか。

そうやって、たわ言を空想する程度の時間のゆとりはあった。

夕方、自転車で帰宅する時、暖かくなったなあと思った。軍手がいらなかった。

中野の図書館に本を返し、予約した別の本を借りた。

返却したのは森巧尚『アルゴリズムとプログラミングの図鑑』
プログラミングにおいて用いるアルゴリズムを優しく解説したものだ。

森さんといえば、昔のベーマガ読者で知らぬ者はいない、常連投稿プログラマーだったが、ベーマガを知らぬ者が増えてしまった今、森さんを知らぬ者も増えた。

ベーマガ時代の森さんは、ベーシックマスターL2/Jr 向けのプログラムを投稿していたと思う。当時でもなかなか渋い機種だ。BASICの文法が独特で、マシンを持っていない自分にはわからなかった。

その頃欲しかったのはNECのPC8001だった。9801ではない。8001だ。この機種向けに投稿する有名プログラマーには、高橋はるみさんという人がいた。彼女の投稿文体は、令和5年の今読むと、きっと痛いだろう。でも当時は、若い女子なのにマイコンでプログラミングしているというだけで、アイドル的人気を持ち得たのだ。

その、高橋はるみさんが、ベーマガ誌上で「負けた」みたいなことを言っていたプログラマーが、田辺さんとかいう人だった。名前は忘れてしまったが、機種はJR-100だったと思う。松下、今のパナソニックが出していた、でかい電卓みたいなパソコンだ。

田辺さんがベーマガに、キャラクターを動かすプログラミング方法について記事を書いたことがあった。たくさんのキャラクターを一斉に動かすテクニックで、読んだ時、目からうろこが落ちたように思った。

その方法とは、先にたくさんの文字を画面に表示させ、その文字を、ユーザー定義文字機能で文字の中身をビット演算でずらしていくというものだった。例えば、敵キャラのグラフィックをAという文字に定義し、ABABABABと画面に表示させる。次に、Aのグラフィックデータをビット演算で二進数単位で横にずらし再定義し、はみ出たビットはBに定義すると、画面の敵キャラはABABABの上で、なんとドット単位に1ドット移動するのだ。しかも画面に表示したすべての敵キャラが。

当時、オレが持っていたCommodore64もユーザー定義文字機能があったので、真似をしてみたが、上手くできたかどうかは覚えていない。バチ抜けシーズンにシーバス一匹ろくに釣れないどうせオレなんかのことだから、きっと安定の失敗に終わったことだろうが、C64はBASICでビット演算ができなかったんじゃなかったかな。

いずれにせよ昔の話だ。コータローが、まだまかりとおっていないくらいの、昔の話だ。

帰宅し、Wikipedia で『コータローまかりとおる!』を調べた。あの頃はすでにまかりとおっていたことがわかった。

8時、阿佐ヶ谷へ。TSUTAYAがなくなっていた。閉店したのは一昨年らしい。TSUTAYAの郵送レンタルサービスを使うようになってから、店舗にはまったく行かなくなっており、気がつかなかった。

N氏に北海道で買ってきたブツを渡す。旅行を羨ましがっていたが、行くとなると同居者が大変なのだという。

夕食に、ソーセージとチーズのトースト食べる。

さて、いつ走ればいいのかな、と思いながら、12時過ぎ就寝。