DM作業の今昔

上野千鶴子さんの講演が突然中止になった。
依頼者側のドタキャンである。
依頼したのは甲府市で、「ひとりでも最期まで在宅で」というタイトル。
上野先生が過去に朝日新聞の人生相談で回答した内容などが、市の公費を使って呼ぶ人物としてふさわしくないという市の判断を招いたらしい。

問題になった人生相談の内容を読んでみたが、目から鱗が落ちるようだった。
でも、性に関して竹を割ったようにすぱっと回答する学者は、政治家サイドからすると極めて扱いにくいのだろう。

夜、上荻にて稽古。
仕事が終わってすぐに向かっても、どうしても6時半近くになってしまうので、お金は芹川か知恵ちゃんに先に払ってもらっている。
昔はどうしていたかな。

「ジャック」の頃は事前に払えるところは払うことで対処していた。
「掃除屋」もそうだった。

この二回は、制作諸作業をほぼ一人でやっていたので、今思うとむちゃくちゃ大変だった。
客演さんに交通費を出して、タタキの手伝いに行ってもらったりとか。

その頃に比べると今はずいぶん楽になっているのだと思う。
その分、別の大変さがあるわけだが、芝居を一つ作るのに、大変さが消えることはないんだろう。

舞台装置としてホワイトボードと長いすを使うことにした。
稽古場にあるそのままの場景だ。
なにかのシンポジウムや、トークショーのように見えるといいなと思う。

チラシと案内文を封筒に入れ、切手を貼る作業をみんなに手伝ってもらった。
案内文には苦労した。
新しいパソコンにまだオフィスが入っていないので、ノートパソコンで作業をして印刷したのだ。

DM作業も楽になった。
「暮れなずめ街」の頃まで、自分でやってたのが信じられない。
どうしてそういう仕事を人に振れなかったんだろう。
「トウガラシライフ」で、チラシ完成を見越して事前に分業することで、ずいぶん楽になった。

ただ、上岡君の話では、最近DMを出さない団体もあるらしい。
ネットの時代だから、メールで案内をおくるカンパニーの方が多いのか、それとも別の手段で顧客に案内をしているのか。

自分でやるメリットは、アンケートにしてもパンフにしてもDMにしても、過去のひな形がパソコンにあることだ。
だから新しいものを一から作る苦労はすくない。
テキストさえそろってしまえば何とかなる。

お客様の住所録から、手書きでDMを書いていた時代もあった。
稽古中、役者に手伝ってもらっていた。
後輩が多かったから出来たんだろう。

DM作業が結構かかり、稽古はそれほどたくさん出来なかった。
9時半終了。