4歳の時

6時に起きるが、眠くて仕方なかった。
朝飯を食べ弁当を用意してから、純粋に睡眠目的で二度寝した。
8時に起きて仕事へ。

午前中、ゆっくりと仕事。
Accessの勉強をし直す。
昔は、Access入門みたいなサイトが沢山あり、フォーラムのやりとりを見て勉強したものだったが、近頃そういうのにお目に掛かることは少なくなった。

日曜日に読んだシーナの本「You may dream」で、鮎川誠は、最近ネットに興味がなくなったようなことを書いていた。
鮎川さんといえば、インターネット黎明期に独学でシーナ&ロケッツの公式サイトを立ち上げた人だ。
パソコンを買ってからサイト後悔までの顛末は、名著「DOS/Vブルース」に詳しい。
この本を読むと、1994年から96年にかけてのインターネットが、どれだけ人をワクワクさせるものだったかがよくわかる。
そもそもインターネットは目的ではなく手段であり、最近のネットはそういう意味で手段として完成に近づきつつあるのかもしれない。

昼、弁当食べ、「哀しすぎるぞロッパ」読む。

午後、眠気と戦いながらツール作り。
なかなか進まなかった。
春眠暁を覚えず、の眠気ではないような気がする。
お昼以降、カフェインを控えているせいかもしれない。
禁断症状か。

定時に上がり、西葛西へ。
南口駅前に大きな木がある。
その周りを、何千羽ものムクドリが群れをなして飛び回っていた。

TSUTAYAでDVDを借りて実家へ。
刺身、カレイの煮付け、麻婆豆腐食べる。
麻婆豆腐は母がジムの友達に教わったレシピらしい。
めんつゆと豆板醤を使うとのこと。
やや塩辛かったが、以前自分が味噌と豆板醤を使って作ったものよりは麻婆豆腐らしかった。

昔話する。
母に、
「佐々木さんのとこの不良達覚えてる?」
と聞かれ、記憶をたどった。
「5号棟の佐々木兄弟ね。覚えてる。じゅんちゃん、りゅうちゃん、ケイちゃんと、弟が一人いたな」
「悪かったわよねえ。あんた、おもちゃとられたでしょ」

たちまち映像が浮かぶ。
日曜日の朝、なにかつまらないことで愚図っていたら、怒った父に家の外に放り出された。
家の前で遊んでいたのが佐々木兄弟で、泣いているオレに声をかけ、一緒に遊ぶようになった。
4歳だった。
長男のじゅんちゃんが小学二年生、りゅうちゃんは6歳、けいちゃんは5歳だった。

遊んでくれる「お兄ちゃん達」だったのだが、長男のじゅんちゃんは小学生だから、4歳のオレよりも行動範囲がずっと広い。
一緒についていくと、いつの間に葛西駅の方にいて、夜の7時に家に帰るともの凄く怒られた。

おもちゃは、確かじゅんちゃんかけいちゃんに貸したのだ。
昼飯時になり、
「返して」
とじゅんちゃんに言うと、
「けいちゃんが持ってる」
と言う。
けいちゃんに言うと、
「りゅうちゃんだよ」
と言う。

たぶん、どっかに置き忘れたかして、なくしてしまったんだろう。

家に行けばあるかもしれない。
そう思って佐々木さんの家に行くと、鍵があいていた。
中に入ると誰もいなかった。
おもちゃはどこにもなかった。
棚に、粘土が置いてあった。

複雑な家庭環境だったのだろう。
佐々木家の両親は共働きで、家にいることはほとんどなかった。
子供達は、当時まだ盛り場もない江戸川区南部の空き地をなんとなくぶらぶら歩き回っていた。
家に鍵もかけずに。

一番仲良かったのは、一つ上のけいちゃんだった。
じゅんちゃんは年上過ぎて、もの凄く大人に見えた。
4歳の目から見ると、8歳は大人なのだ。

眠気、収まらなかった。
風呂に入っても寝落ちしそうになった。

「哀しすぎるぞロッパ」読了。
古川ロッパ。エノケンのライバルだった喜劇俳優。
昭和10年代においてはエノケン以上の人気があった。
大量の日記を遺したことでも有名。
本書はその日記をメインの資料とし、ロッパの生涯と昭和史を重ねるように進む。
盧溝橋から日中戦争のくだりなど、庶民や世間が戦争をどうとらえていたかわかって面白い。
タイトルは、戦後、急激に精彩を欠いていき、日記が愚痴ばかりとなり、生きがい以上のもの、日記を書くことが人生そのものとなっていく過程をさしていっているものと思われる。
確かに、哀しすぎた。