5時半起き。目覚ましが鳴る前だった。
風呂に入り、水耕栽培の水足しをし、トマトをひとつ収穫した。2個目。
1個目よりサイズは小さかった。
朝食にフルーツグラノーラとミルク、あんパンを食べた。
曇っていて気温も低かった。天気予報では一日雨のようだった。
8時20分に家を出る。スティングの「57th & 9th」を聴きながら、雨が降る前に初台へ。
「57th & 9th」は一昨年の暮れにCDを買ったのだが、あまり聞き込んでいなかった。1曲目がまんまポリスだが、よく聴くと演奏がやっぱり違う。ドラムが、馬に似たあの人の、蹄みたいな音じゃないからか。
『ミレニアム』5巻読む。タイトルは「復讐の炎を吐く女」である。ドラクエだったら後半に出てくる敵だな。
場面が細かく分かれ、短い間に切り替わっていく。読みやすい。
生まれた時瀕死の老人で、年をとるたびに元気な体に近づいていき、男だったら一番頭が切れて頑健な時に、女だったら一番若々しいくお肌ピチピチの時に、急に爆発して死んでしまうという種族の話を考えた。
ある長生きの女性は、朝起きるたびに肌がつやつやに、唇もぷるんぷるんになっていくので、そろそろお迎えが近いのねと悲観している。頭脳も肉体も年をとるほど若くなるので、死が近づくにつれて達観から遠ざかり、死ぬのが怖くなっている。だから、少しでも長生きするために、肉体の若返りに抵抗する。あと、老人で生まれた時は性交できないが、年をとるごとにできるようになり、死ぬ直前が一番ムラムラしている。
最後に爆発して死ぬというのは、風船が破裂するみたいな感じ。ピチピチになりすぎて割れちゃうのだ。死因は画鋲。
演劇向けのネタじゃない。まるでキルゴア・トラウトの小説みたいだ。
キルゴア・トラウトはカート・ヴォネガットの小説に頻繁に登場する、作者の分身の如き架空のSF作家。作中で紹介される彼の作品は、ヴォネガットのネタ帳棚卸しではないかと思う。
キルゴア・トラウトの小説をすべて本物の作品に仕上げる、酔狂な作家はいないものだろうか。書店に『キルゴア・トラウト作品集』なんて背表紙があったら、まずのけぞり、しばし笑いをこらえてからレジに持っていくだろう。
昼、吉野屋へ。ねぎ玉牛丼のアタマを食べる。アタマなんて初めて聞いたが、ご飯はそのまま肉多めのことらしい。
ねぎ玉は、すき家にも同じようなメニューがあり、そちらの方が元祖のようだ。だが、すき家はなぜか好きになれない。好んで入るのは第一に松屋、次に吉野屋。しかし、牛丼を食べる回数はここ十年でかなり減っている。
かつては、朝、仕事に行く前に松屋で食べていくのが日課だった。小金井に住んでいた頃だ。ビビン丼ばかり食べていた。
『ミレニアム』パルムグレン氏の受難まで進んだ。全体の三分の一くらいだが、まだ物語は動いていない。
午後2時過ぎくらいからまた眠くなった。今朝起きたのが早過ぎたからだろう。5時起きなんて、朝市でバイトしていた時とほぼほぼ同じだ。ほぼほぼって、この四、五年で流行り始めたな。ほぼ、よりも不確かさをはらんでいる。
6時、中野坂上へ。小雨が降っていた。ダイソーに寄ってレインコートを物色したが、自転車に乗る時は着ないで下さいと書いてあった。しかし、レインコートなんて、自転車乗る人の需要がほとんどだと思うが。
大学演劇の後輩、豊田くんと飲む。会うのは、12年前マグ公演に出てもらって以来だった。
旧交を温め、会わなかった期間、お互いどうしていたのかを話す。
彼の代は、豊田くんを含んで三人がマグに出ている。オレが良く知っている、最後の後輩の世代だ。
映像の手伝いなどよくしているらしく、自分でも編集したものを見せてもらった。スマホで撮影、編集したという。
スマホで映画は撮れるんじゃないかという話をすると、音声録音はあった方がいいとのこと。なるほど。そういえば、劇場公演を編集する時、音声が別トラックだったら楽なのにと思ったことがある。豊田くんが言ったのはそれとは違う意味かもしれないが。
11時過ぎまで話し込んだ。
外に出ると雨はまだ降っていた。小雨だったがしつこい雨だった。
しかし、家に着いた頃はほとんど降らなくなっていたので、濡れずには済んだ。
寒かった。4月並みだと思った。7月のような5月のあと、4月のような6月。時間が逆行しているかのようだ。同時に、人々の肉体も時間を逆行して若返っているのだろうか? だとすると、オレが爆発するのは20年後か?