コモドール64が動いた

焼き芋とまんじゅうを朝食代わりに食べながら、録画した「たいむとんねる」を見た。柳沢慎吾がゲストだった。マイムと物真似を駆使した情景描写の第一人者だが、朝っぱらから10分以上続けざまに見るのはしんどかった。見る側に心の準備がいる人だ。

そういえば昨夜は色々な夢を見た。はっきりした夢だったのに、きれいさっぱり忘れてしまった。

昼、「シャンティ」で、ミックススパゲティを食べた。店内がやたらに混んでいた。恒例のくじ引きに初めて当たった。茶碗蒸しが一品ついてきた。

『笹まくら』読む。
学校あらしが捕まる場面。浜田は傍観する。浜田の、昔の女の追憶。おばちゃんになって太った。そしてガンでなくなり、葬儀の案内が届いた。浜田の妻は若い。その、若い嫁とのナイトライフ場面。浜田は、昼間のことを話しながら愛撫。嫁は、夫が、逃げるものに同情的なのを変だという。ここで浜田の過去が明らかになる。彼は戦争中、徴兵忌避者だったのだ。

自分の文章について考える。書きたいことより、文章が先に出ると、ダメな文章になる。だから、書きたいことが溜まって、ぎりぎりまで我慢したらいいのだが、つい、ちょろちょろっと言葉を出してしまう。
話し言葉にたとえると、沈黙が怖いがためにぺらぺらと喋り、相手の地雷を踏んづけてしまうようなものだ。「でもほんと、若いよねー、若いよ、若く見える。なんだっけほら、アイドルの、乃木坂? その、誰かに似てる。似てる似てる。言われない? 絶対若く見えるよ」とかなんとか。途中で、相手に、こいつ死ねよと思われているのを、実はうっすらわかっている。でも止められないという悲劇。

夜、実家へ。
コモドール64の動作確認をしようと思ったが、HDMIケーブルを持ってくるのを忘れてしまった。C64→独逸製S-VHSケーブル→コンバータ→HDMIケーブル→テレビという接続を予定していたのだが。
しかし、寝室のテレビを調べると、S-VHSの端子がついていた。ラッキーだった。これなら、C64→独逸製S-VHSケーブル→テレビという接続ができる。ん?だったら、コンバータを買う必要、なかったんじゃね?

気を取り直し、C64の電源を入れてみた。電源ランプはついた!
テレビの入力をS-VHSに変える。すると、あの懐かしい、BASICの起動画面が映った。
電源を入れたのは平成元年以来。実際に画面に映したのは昭和61年以来だった。

さて、こうなると、この先をどうするか考えないといけない。
カセットレコーダーを接続し、LOADコマンドを打ってみたが、レコーダーはまったく動かなかった。早送りと巻き戻しボタンも動かなかった。どうやら、こいつはもう使用できなくなっているようだ。
すると、先日少し考えた、SDカードをフロッピーにする装置の購入検討だ。そいつがあれば、フリーのデモソフトをコピーして、実機で実行させることができるかもしれない。

ebayで値段を調べると、日本円でだいたい5000円といったところだった。どうする? 買うのかそれを?

しかし、もしも、買って、ソフトの動作確認ができたら、それらすべてをセットで売れば、良い値がつきそうな気もする。
え? 売るの? とC64。
売るさ。ドナドナのように容赦なく。

というより、一度、実機にそういう、すごいプログラムを実行させてやれれば、自分の中のコモドール供養はもう十分なのだ。あとは、良き好事家の手に渡れば、きっと幸せな余生を送ってくれることだろう。だいたいC64よ、あの日あの時あの場所でオレに会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のままだったと思わないか?

SDカードによる、フロッピードライブエミュレータを、ebayにて検索し、どこを買うか検討する。独逸の次は英吉利かな。