文章のことなど

8時間か9時間は寝たはずなのに、起きても眠気がとれていなかった。寝過ぎのため、睡眠の第二ラウンドに入り、その途中で明るさのために目が覚めてしまい、脳が散らかった状態で起きてしまったのだ。だから眠かった。脳が、整理整頓を求めて、眠気シグナルを出していた。

それでも起きた。大人だから。眠いからといって寝ているのは子供だ。あるいは猫だ。猫が飼いたい。いや、飼わせていただきたい。

昼過ぎ、長めの湯につかって汗を流した。

2時半に家を出る。八王子へ。「竹の家」というラーメン屋で大盛メンマラーメンを食べた。メンマが丼全体を覆っていたが、メンマ自体の味は薄かった。

商店街を歩いていると、お菓子の行商人に声をかけられた。
「10秒だけ話きいてもらえますか」
苦笑してうなずく。二十代に見えるあんちゃんだった。
「えーまず、このケーキは…」
あんちゃんが、持っている箱を開けると、中に大福があった。
「その大福ください」
見た瞬間、買ってしまった。稽古場で食べるおやつにちょうど良かったのだ。
「ありがとうございます」
あんちゃんは言って、大福を袋に入れてくれた。

5時半まで、稽古場の椅子に座ってセリフを覚える。今回、セリフが多い。かなり多い。多さよりも、「うん」「ああ」「いや」といった間投詞を間違えずに覚えるのが大変だ。「うん、いや」と「いや、うん」という、組み合わせの違いもある。
そういうのを、テキトーではなく正確に覚えようとすると、見えてくるものがある。倉本聰さんのシナリオは、句読点ひとつでもおろそかに読んではいけないというが、その読み方を教条的にではなく、人物の心理をなぞって役を写実的にデッサンするためというふうに考えてやれば、ただただ、面白い。「うん」と「ああ」は、違うのだ。

イトウさんと稽古をする。
間に壁を隔てて演技をするのだが、ドタバタ芝居になってしまいそうになる。
「コントみたいな動きになっちゃいそう」
そういうと、
「なっちゃっていいよ」
と、見ている人から言われた。
そうだな。今のうちに、やれることは全部やってしまった方がいいな。マグ稽古で、演出をする時、役者にそうなることを求めていながら、自分が役者をやるときに守りに入ってどうする、っていう話だ。

買ってきた大福をみんなで食べた。おやつタイムがあると楽しい。今度、芝居の稽古を立ち上げる時は、おやつ担当を決めようか。

合間に、最近焼き芋にはまっていたことを話すと、チエコさんから「もっと話して」とせがまれた。それでいい気になって、大福やまんじゅうを作ったことも話していたら、ワタナベさんに「そういう喋り、何かに生かせないかな」と言われた。

9時半終了。

橋本治『双調平家物語』読む。
安禄山の物語が続く。玄宗皇帝を慕う蕃人が、謀反を起こすところに追い込まれるまで。
都人の偏見や讒言は、今の時代と変わらないと思わせる。

サミットでポテトフライと白身魚フライを買って帰宅。
夕食に、フライ類、ヨーグルト、ブロッコリー食べる。

稽古帰りに言われた言葉を思い出した。
文章についての言葉だった。
なぜか、すっと心に入ってきた。そして、不思議と真面目な気持ちになった。
今まで、そういうことから逃げてきたのではないかと、おのれを顧みる気持ちにもなった。

はっきりいって、オレは文章がうまいわけじゃない。
謙遜ではなく、書いている時の脳の状態を知っているから、それが言える。
が、自分ならではの味は、あるんだと思う。
「味」なんて生意気だな。体臭にしておこう。
その体臭を、ここぞという時に、消そうとすることがある。
気負っている時だ。
自分を、自分以上の何者かに見えるよう、盛ろうとしている時だ。
そうなると、オレをオレにしていた体臭が消えるから、その文章をオレが書く意味もなくなる。

書くものに、ファブリーズをかけるのを、やめよう。
体臭を消したら、猫も近づかなくなる。

しかし、このブログは、かけてないな。
いったい、どんな人が読んでいるのだろうか。