余命

5時起き。夕べは5回ほど起き、父の給水手伝いをした。
母が起きてきたので自室に戻り、9時まで寝直す。

起きて、夕べの残りのカレーを食べようと思ったら、ご飯がすべて冷凍されてしまっていたので、近所にある24時間営業の弁当屋『一番』で何か買ってくることにした。

その店はオレが小学生の頃からあった。当時はほか弁系のチェーン店だったと思う。ほっかほっか亭だったかな。
たぶん一回も食べたことはない。理由は、十代の頃はお弁当というものを美味しく食べる習慣がなかったから。
大学に入り、稽古の合間にお弁当屋の弁当を食べるようになって初めて、そういうものを食事の選択肢に入れるようになった。

『一番』は実家から歩いて5分もかからないところにある。めちゃくちゃ近所だ。そこにあることはずっと知っていたのに、なぜか一度も買おうとしたことがなかった。

人気メニューのスタミナ丼を頼んだ。頼んでから肉と野菜を炒めるスタイルだった。作りたてというわけだ。
カウンターには、唐揚げ、コロッケ、煮物、麻婆豆腐、サラダなどが並んでおり、どれも安かった。スタミナ丼と一緒にポテトサラダも買った。大盛りにしたのに、合わせて800円そこそこだった。安い。

実家に帰りスタミナ丼を食べた。うまかった。労働した後に食べたい味だった。大盛りにせずポテサラをつけなければ500円台で食べられる。もし初台あたりにこの店があったら、昼時は大行列が出来ると思う。なぜ、今まで一度も利用しなかったのだろうと思った。

昨夜眠る前にトリプトファンを飲んだためか、眠気が残っているようだった。10時に外に出て少し散歩し、コーヒーと『塩ナイン』サプリを買った。

昼、ブログを更新し、町田康『しらふで生きる』読む。本を読んでも内容がなかなか頭に入ってこなかった。

3時前、妹が来たので、父の世話を任せ、近くのセレモニーホールへ。

先月上旬に退院した時、父は主治医から筋トレや散歩を勧められた。だが、その上で一応訪問看護の手続きをし、週三回介護士がくる手はずができていた。

その後、先月の26日に実家へ帰った時、父はベッドから歩いて居間にきて食事をし、テレビを見ていた。ベッドと居間の行き来は自分で勝手にやっている感じだった。
しかし30日にきた妹からのメールに、トイレで下血して倒れたとあった。そして、その日を境に父の体力は急激に落ち、意識の混濁が見られるようになった。

昨日の父は落ち着いていた。しかし、声を出すのが大儀なため、人を呼ぶ時は手元の鈴を鳴らすようにしていた。看護士によると、経験上この状態からだとおよそ二週間で臨終することが多いとのことだった。

セレモニーホールで、昨日伝えた状況から立ててもらった仮のプランの説明を受けた。大体のところはわかったが、とにかくまだ、することはなにもないことがわかった。

3時半、家に戻り妹と情報交換をする。

夕方、実家に置いているクロスバイクのブレーキ調整をするため、100均へ行き六角レンチを買った。その場でパッドの位置を調整したが、うまくいかなかった。最後に交換したのが三年前の11月で、二年前の5月に盗まれ、去年の4月に戻ってきた。盗まれていた間に片効き状態が続いていたのかもしれない。

夜、エビの天ぷらとご飯食べる。食べながら母、妹と三人で話していると、父が呼び鈴を鳴らした。何を食べているか気になったらしく、天ぷらを食べたいと言った。妹が天ぷらを切って食べさせに行った。

9時まで雑談する。普通の話。妹は最近戸田恵梨香の大ファンになり、全作品を見たとのこと。最近の女優は誰が好きかと聞かれ、どう答えたものか迷った。ガチで答えるならシアーシャ・ローナンになるため、そう答えたが、妹とはそのへんの趣味や好みがまったく合わないため、説明しようとしても断絶を感じるだけになってしまった。『海街diary』の長澤まさみはよかったというところだけ、話が合った。

9時に妹が帰る。
風呂に入り母を寝かせ、居間で1時近くまでスマホを見る。父、時々鈴を鳴らし、ポカリスエットを飲みたいと言ったので、その都度飲ませた。

1時に電気を消し、昨日に続き父の隣で寝る。
3時に鈴が鳴ったのでポカリスエットを汲みに行くと、「ごめんね」と父が言った。「大丈夫だよ」と答えた。
その後、4時と5時にそれぞれ鈴が鳴り、都度、ポカリと水を飲ませた。